コネクト、ワイヤード
近所の寺の入り口沿いの道路を歩いていたら、誰かが頭を撃ち抜かれて髄液が飛び散った跡みたいな物体が地面いっぱいに広がっていて、「怖っ」と思っていたんですけど
あれがいわゆるキンモクセイってやつらしいですね。
実家の近所はキンモクセイを植える風習が(多分)なかったし、"なんかたまに歌詞に出てくるやつ"くらいの認識しかなかった。
キンモクセイってあんな派手に散るんですね。
そもそも、そこら辺の住宅街に生えてるようなタイプの植物だったんですね。
なんか知らんけどヒガンバナとごっちゃになってて、勝手に「見たら死ぬ」と思ってた。
しかも別に「ヒガンバナを見たら死ぬ」って言説があるわけでもないし。
さらに言うと、髄液は透明無色らしい。
もう何もかも全部間違えてた。
今回はインスタで遠い親戚が、『近所の金木犀がきれい』っていう
毒にも薬にもならねえ投稿をしてくれていたおかげで気付けたものの、
あれを見てなかったら、今だにキンモクセイの何たるかを理解できてないままだったと思うし。
私以外のみんなが持っている"キンモクセイの感傷的なイメージ"を共有することもできず
「うわ何この髄液…キモっ…」
とか思い続けてたんだろうな〜と考えると、めちゃめちゃ肝が冷える。
だから髄液は透明なんだってば。
本をまったく読まない・映画もたまにしか観ない・ニュースと新聞は天気予報しかロクに見ないという
教養偏差値25くらいの暮らしを四半世紀弱続けてきたツケが、こういう日常の些細なところで出てきてるんじゃないかな〜と、最近よく思う。
読書家じゃなくても、せめてニュースをちゃんと見るような人だったら
とりあえず、本読んで映画見てニュースちゃんと見て新聞もたまに読むような人間になりたい。
たまに5ちゃんねる。超不毛。
私の記憶は大半がインターネット由来のもので、
私の物の考えかたも(SNSの存在をめちゃくちゃに拡大解釈すれば)インターネット上に蓄積されている。
PS版serial experiments lainの理論で言うと、人間は「記憶(=記録)」と「判断の積み重ね(=思考ルーチン)」さえあれば、存在するに足るらしい。
ぶっちゃけあんまり理解できてないので違ってたらごめんなさい。
なのでlain的に言えば、最早インターネット上に私という存在が完成されつつあり
肉体がこの世に必要ない状態に到達しつつあるっぽい。
ここがワイヤードだったら、とっくに玲音ちゃんに洗脳されてPCモニターに顔面突っ込んでる。
遍在待ったなしじゃん。
うわ、インターネットでよかった。