私は如何にして心配するのを止めて店頭でワオンカードを作るようになったか
私の自宅から徒歩1分ほどの距離にミニストップがある。そしてそれよりも更に自宅に近い距離に、小型スーパーマーケットのまいばすけっとがある。両者共にイオングループの店だ。
ワオンカードの呪縛から逃れられない環境で生活している。
引っ越してきて2日目には「あ、これワオンカード作ったほうが良いやつだ」と気付いていた。
私の食事の5割はミニストップのコンビニ飯で、残りの5割がサブウェイかマック。たまに、まいばすけっとで調整豆乳を買う。これの繰り返しだけで食生活が回っているうえ、食費は我が生活費の1/2弱を占めている。
つまり、ワオンカードを作らずに生活することは、生活費の1/4ほどに相当するポイントをドブに捨てていることになる。ちょっと考えれば分かる。
近所のミニストップのレジの店員も、毎晩のように「ワオンカードお持ちですか?」と聞いてくる。持ってない。持ってないから作らなければいけない。
でも、怖い。ワオンカード作るのめっちゃ怖い。銀行行ってキャッシュカード作るのとは訳が違う。
ワオンカードを作るためには、缶コーヒーとじゃがりこだけを手に持ち人畜無害そうな顔付きでレジ列に並んでおきながら、自分の順番が来た途端に
「ワオンカードください」
と宣言しなければならない。
その瞬間に、レジ打ちの店員はカードの新規登録やポイント制度の説明など、本来のレジ業務とは無関係のタスクを背負うこととなる。当然、1レジ打ちあたりの所要時間も強制的に引き延ばされる。
そして順調に消化されつつあったレジ待機列のテンポは、完全に崩壊する。ワオンカードを欲するただ一人の人間の手によって。伏兵かよ。私の後ろでレジ待ちしているおっさんのストレスたるや、想像するだけで怖い。
ともかく、コンビニのレジという小宇宙の秩序を乱さなければ、ワオンカードを手に入れることは出来ないのだ。
そんな勇気があったらとっくに会社辞めてる。
次第に私の中で、"ワオンカードを作る"という行為が、恐怖の象徴のようになっていった。レジ待ちが一人もいなくても、どれだけ店員が暇そうでも、「ワオンカードください」の一言が言えない。
『私は毎日ちまちまポイントを貯め続けるような人間ではない』と自分に言い聞かせながら、ポイントをドブに捨てる生活を半年以上送り続けた。
だが、人生の転換点は唐突に訪れる。
ある日を境に、近所のミニストップのレジ横にワオンカードが、それはそれはわざとらしく陳列されるようになったのだ。
店員がバーコードを読み取り終えるのをひたすら待ち続ける間、名も知らぬあのなんか白い犬が、ずっとこちらを見ている。
それからというもの、私はレジ列に並ぶたび、半年以上の間に打ち捨て続けたポイント達へと想いを馳せるようになった。
深い悔恨の念が胸に去来し、信念は揺れ、
『私はただ単にレジで目立ちたくないだけじゃないのか』『行き遅れの一人暮らしがレジでワオンカードを作ったところで、気に止める人など存在するわけがない』
などと自己嫌悪する日々が続いた。
そして年も暮れ、会社の忘年会とかいう理不尽の年末大決算を乗り越えた日の24時前。
相も変わらず踏み出せずにいた私の元へ、福音が与えられた。
「ワオンカード、お持ちでないですよね?お作りしますか?」
私は自分の耳を疑った。
今まで機械的に商品のバーコードを読み取るだけだったミニストップの店員が、私に優しく語りかけてきたのだ。
それは世間が浮かれる年の瀬の深夜に、カフェラテとじゃがりこ(サラダ味)とジューシーチキン(辛口)という終わってるラインナップを買いにきた私への思いやりだったかもしれないし、単なる店員の気まぐれだったかもしれない。後者がいいな。みじめ過ぎるから。
だが、その店員の気まぐれは、確実に私の背中を押した。
レジの店員に「こいついつも来るな」とか「こいついつも来る割にカード持ってねえな」とか思われてる時点で、普段の私には十分キツい。
しかし何故かこの日は、それすらも些細なことのように思えた。
年末進行でぎちぎちのスケジュールのなか爆催された忘年会、明日も普通に平日だけど2時間半コースの二次会、炎上する担当案件、終わらないシステムテスト、毎日クソつまんねえ仕事、部屋に溜まりゆく洗濯物とゴミ袋、頑張れない自分。
ありとあらゆるフラストレーションが、ひとつの熱い情動になるのを感じた。
変わりたい。
ちっぽけなプライドから、ポイントカードの一つも満足に作れなかった私。
ありもしない「他人の目」を気にするあまり、目の前の幸せに手を伸ばさずにいた私。
その全てを過去にする日が、とうとう訪れたのだ。
今しかない。
今を逃したら、きっと死ぬまで変われない。
「っんぬ、ぇ、あの、あのはい、じゃあお願いします」
あれほど恐れていた"ワオンカード発行待ちおよびサービスご紹介タイム"は、拍子抜けするくらい一瞬だった。イオングループの企業努力の賜物だろう。
レジ袋と、ワオンカードのパンフレットを片手にミニストップを出る。国道沿いの夜空はいつもより澄んでいた。
今、私のカバンの中の財布の中には、確かにワオンカードが収まっている。ピカチュウを手に入れた瞬間のサトシってこんな気分だったのかな。違うよな。ごめんサトシ。
あのなんか白い犬から目をそらす私は、もうこの世にいない。かつてこれほどまでに私を悩ませていたカードが、今この手にある。
すっかり見慣れた夜道を一人で歩きながら、私は未だかつてない充足感を全身で感じていた。
それからしばらく、「深夜シフトの店員さんに割と覚えられてる」という事実が平常時の私にはしんどすぎたため、深夜帯のミニストップには近付けず駅前のセブンを使い続けた。
なんなら未だにあんまりミニストップ行けない。誰か殴ってくれよ。